龍之介慕情

龍之介の「恋文」

 東大を卒業した年「芋粥」を書き上げた芥川龍之介は、友人久米正雄と大正5年8月17日から9月2日まで、当一宮館の離れでひと夏を過ごしました。滞在中は師である夏目漱石に、自分たちのボヘミアンライフぶりを紹介したり、のちの夫人になる文さんに、愛をうちあけた長い求婚の手紙を書いています。

 一宮館では、龍之介の滞在以来、その離れを芥川荘と名づけ、大切に守りつづけてきましたが、平成3年、龍之介の生誕・数えで百年、また恋文が書かれてから75年を閲み、芥川瑠璃子様をはじめ芥川家の皆様方の快いご了解をいただき、芥川荘を包む松林の一隅に、恋文全文を刻した文学碑を建立しました。

恋文全文を刻した文学碑

芥川荘内部

 一宮館では、今後も永遠にこの偉大な作家のさらなる理解と、文学の啓蒙につとめて参りたいと思っています。

 龍之介が、当館滞在中に友人谷森饒男にあてたはがき。「立つ秋を 濱菊ひょろ高く さきにけり」という句が添えてあります。

のちに芥川賞を制定した菊池寛から、当館に滞在中の芥川龍之介と久米正雄にあてた「はがき」。

 一宮館では、今後も永遠にこの偉大な作家のさらなる理解と、文学の啓蒙につとめて参りたいと思っています。